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村上裕徳 日本現代舞踊の起源14

音二郎たちが開始した演劇は《書生芝居》《壮士芝居》と呼ばれながら、新演劇の基盤となるメソッドがいまだ無いまま、歌舞伎を批判しながら、その見よう見まねから素人が自己流で始めたものであった。そのため、リアルな立廻りや現代物には手本が無いだけにかえって新味がありながら、発声・セリフ廻し・義太夫・囃などなど、すべて旧劇である歌舞伎を踏襲せざるをえなかった。つまり新しもの好きの一般観客からは好評であったが、伝統芸としては技術がともなわず、拙い(つたな)模倣である部分が目立ち、伝統的技術を重んじる劇評家・歌舞伎愛好家からの評価は、かなり手きびしいものだった。明治二六年から舞台評を始めた当時二一才岡鬼太郎(おにたろう)(註1)は、後年の三六年に、川上一座に喝采する手合いは「酸豆腐通(すどうふつう)」と評し、演劇として歯牙にもかけなかったが、鬼太郎と同じく明治五年生まれの岡本綺堂(きどう)(註2)はやや好意的な評価をよせている。
 『明治劇談ランプの下にて』(昭和十年刊)の中で、明治二四年の依田学海作『拾遺後日連枝楠(しゅいごじつのれんじのくすのくき)』を綺堂は、「大勢のなかには顔のこしらえのまずい者や、烏帽子の着用のつん曲がった者や、正面を切って台詞の言えない者や、男か女かわからない者や、種々さまざまな欠点が見出だされないではなかったが、(中略)壮士と名の付いている俳優たちがいわゆるチョボ(浄瑠璃)に乗って芝居をする──それがさのみおかしいとも思われないばかりか、弁の内侍の千代野との別れなどは、チョボを十分に使って一部の観客を泣かせたのである。わたしもさすがに偉いと思った。」──と評している。ただ、この綺堂も二五年公演の熊本神風連騒動を題材とした『ダンナハイケナイワタシハテキズ』には難色を示し、「狂言といい演技といい、俗受け専門、場当たり専門、実にお話しにもならないもので、わたしは苦々しいものを通り越して腹立たしくなった。」──と回想している。当時二十才の綺堂は観劇の翌日、東京日々新聞に出社するとすぐさま劇評にとりかかり、題もわざと『市村座激評』として川上攻撃をしたらしい。温厚な劇評家であった綺堂にしてからサヨウであったから、他の批評家はおおむね否定的であった。ただし綺堂も、「年の若いわたしは、それは却(かえ)って彼等の逆宣伝になることに気がつかなかった」──と回想するように、悪評もかえって大衆心理をアオるあたりが面白い。そんなにヒドい芝居なら、ひとつ話のタネに観ておこうというわけである。
 誹謗(ひぼう)・中傷もはげしく、二四年九月一日の新聞『日本』は、壮士は「天下の一大至毒物」であるとして、座員十七人の経歴をあげ人身攻撃をしかける。座員の動揺もあったが、この時期音二郎は反撃に出ず、ひたすら公演活動に邁進し、じっと耐え抜いた。演劇界に味方は少なかったが、五十八才の演劇改良論者依田学海や『歌舞伎新報』編集者で黙阿弥門下(註3)の久保田彦作も支持者になってくれた。また川上ビイキの弁護士・森肇(後の帝劇女優森律子の父)が、「殺身為仁」の四文字とドクロの絵入りの引幕を送ってくれた事も心の支えとなった。そして二四年の『佐賀暴動記』土方宮内大臣・後藤逓信大臣・有栖川宮の観覧を経て、二五年に金子堅太郎の案内で東京慈恵病院に皇后を観客に迎え『平野次郎』を上演し、《皇后宮台覧》によって、川上演劇の観客を低劣視する批評を一挙に封じこめる。つまり劇評に、音二郎の芝居を批判は出来ても、その観客を「低劣視」した書き方が、まかりまちがえば皇室に対して《不敬》にあたるため、矛先をゆるめねばならなくなったのである。
 倉田喜弘は「明治大衆の民衆娯楽」のなかで、一八八○年を中心に前後十年に明治天皇の地方巡幸がしばしばあり、一八九○年前後数年に芸能の天覧が続出する意図を、次のように分析している。
 かねがね政府は、芸人社会から卑猥性を追放するために躍起となってきた。それにもまして、体制批判や皇室の冒涜に眼を光らせてきた。しかし、どれほど取締りを強化しても、根絶することができない。そこで一転して、天覧という懐柔策を用いたのではないだろうか。
 地方巡幸の場合、各地の有力者に金銀を与え、その徳行(とっこう)を賞揚した。それと同様、芸能各種目のリーダーを選んで、天皇が親しく彼らの芸を謁見する。芸人たちは狂懼(きょうし)感激して一身の光栄にむせび、簡単に体制のわく組みに組み込まれる。しかも芸人たちは、観客の前で天覧をひけらかすから、民衆教化の役にも立つであろう。そうした図式が、天皇制国家の形成期に用意されたと考えられる。
 相撲や歌舞伎や、倉田がこの分析をしている手品の松旭斎天一(しょうきょくさいてんいち)などの天覧がその例だが、皇族による観覧もそれに準じたものであったろう。いわば貴賎の相互補完を権力構造としてより強化する志向だが、音二郎の場合、確かに、その構造にダキ込まれもされながら、シタタカに自分の戦略に利用しているのである。
 伊藤博文の片腕であった金子の明治国民を啓蒙する意図にそいながら、音二郎の立場は彼等と異なり、その啓蒙性も上からの視点と言うより、芸能という芸能当事者からも観客からも文化価値として自覚も認識されていない底辺から意識を覚醒させようとするものであった。つまり娯楽として消費されるのではなく、自覚的表現に向上させ、それによって芸能としての演劇文化マルガカエに音二郎という《芝居者》も社会的に浮上しようとしたのである。そのためには音二郎が海外を、まず自分の眼で観て来る事が必要とされた。
 

註1──劇作家・劇評家。岡鹿之助(洋画家)の父。本人はいたって親切で面倒見のよい好人物であったが、その劇評は名前どおり《鬼》のように辛辣をきわめた。歌舞伎の名題役者(なだいやくしゃ=看板スター)に対しても、針の筵(むしろ)に座らせるような、生きた心地もない批評で恐れられ、「まずまずの出来」──と評価(傍点)されようものなら、鬼の首を取ったような《大金星》であったらしい。明治後期から昭和十年代までの歌舞伎役者は、鬼太郎の批評に《叩かれないため》に、必死の研鑽を積み、人気に慢心する事を免れた。つまり閻魔大王のように恐れられながら演劇界の御意見番として最大の功労者であった。

註2──劇作家・劇評家。『半七捕物帖』の作者で、日本の捕物帖の開祖。歌舞伎・新派の戯曲の他、多数の怪談や怪奇小説の著作がある。二代目左団次と提携して歌舞伎改革に乗出し、『修善寺物語』などによって、従来の歌舞伎と違い西洋近代劇の影響を受けた登場人物の心理に重きを置く脚本で、明治後期以降を代表する劇作家となる。福地桜痴門下。

註3──河竹黙阿弥は幕末から明治期にかけての歌舞伎脚本家。誤解防止に、没年は明治二六年で、代表作の大半は明治期に書かれた懐古的江戸趣味の歌舞伎であり、五代目菊五郎・初代左団次・九代目団十郎とともに、新時代に見合った《明治の歌舞伎》を作りあげた第一人者であった。

平井玄 フリーター階級をめぐって 1

じゃあ皆さん映画(「山谷─やられたらやりかえせ」 監督 佐藤満夫・山岡強一)を観たところで話をしたいと思います。僕はこの映画の作る時には、まあ微力ながら一緒に作ってた側だったんですけども、今こういう上映運動からも、ちょっと離れたところで別の場所で何ができるかという立場になってるんです。今日は何だかよくわからない「フリーター階級をめぐって」っていうようなタイトルで話をしたいと思います。
 たぶん初めてこの映画観られた方がほとんどだと思うんですけども、見たところかなり若い方が多いという感じですね。まあ学生の方が多いでしょうけれども、いわゆる普通のサラリーマンされてる方少ないと思うんです。僕白身が一度もサラリーマンはやった事ない。幸か不幸かそういう生活をしてきまして。それでこの映画作ってた時には自分の実家が新宿にあるんですけども、そこでクリーニング屋をまだやってたんです。それからこの映画に関わる。まあやっぱり今考えると大きな意味で、その磁力にひきずられるようにしては編集・出版関係の、一番下の方で臨時の仕事をやるというような事になる。最近はちょつと大学で話をするというような事もやってますけども、非常勤講師っていうのは喰えたもんじゃあないっていうのは御存じの方は知ってると思います。生活の糧はそっちで得てるとはとてもいえない状態で暮らしているという感じなんですね。
 せっかくこの映画を観た、その余韻の中で話をしてるんですから、その話に続けて今の労働とか、働く事、生活をしていくっていう事が、二〇〇〇年が終わろうとしてるような今、どんな状態になっているのかなという事を、自分の立場も含めて考えたい、その話をしたいと思います。僕は社会学者でもないし、データを集めてそこから分析を積みあげて、それで何かをしゃべるという立場の人間じゃない訳ですね。もっぱら音楽についていろいろ書いたりしてるんです。逆にいうと普通アカデミズムの世界にいる人っていうのは、今起こっている現象を調査して統計としてデータをまず集める。まあ大学なり役所なりいろんな所から出てくる訳ですけども、そういうものを集めて細かな分析を加えて何年か経って、やっとそれをいろんな理論的な手続きを経て分析して発表するという事になる訳ですけれども、発表された頃には世の中もう変わってるというケースが多いんですよね。この映画の中に例えば建設業の団体がやっている会議の議題の写しみたいなものとかですね、いろいろ文書類やデータが出てくると思うんですけども、あれはこの映画を引き継いで二人目の監督として完成させた山岡さん達が、そういう研究者とは別の角度から非常に地味な、足で集めたデータといいますか、いろんな手を使って手に入れたデータと、なおかつ自らが日雇労働者として生きた経験の中で、まあこれは社会学でよく参与観察なんて言い方しますけど、もっと生々しい自分で働いて喰ってくという実感と、そこで動いてる人の流れを追って考えていったその痕跡です。そこから寿町、釜ヶ崎、北九州まで行って、さらに炭鉱まで行くと。それでまた東京に帰ってくる、山谷に帰ってというような構成になってると思います。それはいわゆる学問的な普遍性とか実証性というよりも、もっと直感と生々しい実践的な思惟力といいますか、思考力みたいなもので到達した成果じゃないかなと思います。でまあ僕もいってみれば、山岡さんのようなそういう深みを持ったものはとても考えられないんですけど、自分なりにこの映画できて十何年か経って生きてきたやり方を、いわばこの映画から流れ出すようにして自分なりに考えたいという事があって、今日のような話になっていくと思います。
 お配りした資料、一番右の方が一九九九年の十一月に東京新聞に出たフリーターについての記事ですね。それから左側に出てるのは一ヶ月後に、派遭労働に関するシンポジウムがあった、その報告がやはり東京新聞に出ている。で今度はちょっと読みにくいですけども、つい最近朝日新聞に出た職安、ハローワークを中心にしていろんな派遭会社のホームページや情報も統合するような求人ネットワークのホームページみたいなものを労働省が作ろうとしているという話ですね。まあその三つを基本的な資料として持って来ました。
 でまずそのフリーターと呼ばれる人達の話をするにあたって、実態を押さえるというところから話した方がいいと思うんです。今日フリーター階級というような言葉は全然熟してもいないし、フリーターを階級として捉えるというような捉え方自体、運動の中でも、社会科学の中で一般化してる訳でも全くないですね。ところが一九九五年、今から五年前に日経連という日本の経営者の団体の、シンクタンクのような組織があるんですけども、そこが出した報告書の中で、一部上場企業、二部上場企業というような大会社を対象にしてると思いますけども、正社員を五つ位のランクに分けていこうという提言が出されている。長期に渡って雇用していくようなタイプのいわゆる幹部社員みたいなものを頂点として、その間にいくつものランクを設けて、普通の企業の正社員自体をものすごく流動的な雇用形態に置こうとしている。まあ彼らの言い方で流動的とか、フレキシブルとかいろんな言い方しますけど要するに退職金コストをなるぺくかからないようにして、いつでも首が切れて、かついろんな部署にいつでも配転できて活用がきくようにすると。使い勝手のいい状態にしておこうという言い方がされてるんですね。その為には皆さん自分のお金を使って、例えば英語力を付けるとかコンピューター操作できるようになるとかですね、そういう事をしなさいというような報告書が九五年に出てるんですね。まず一つそれを押さえたい。そういう流れの中で英会話の教室、ノヴァとかイーオンとかいろいろありますけど、ああいう所にサラリーマンやOLの人達が行く時に国や都から補助金が出る制度が作られたり、コンピュータースクールがもう雨後の筍のようにドッとできるというようになっていった訳です。企業の正社員そのものをいわばフリーター化させようとしているという事、これが一つですね。それと一番右の記事の中を少し読んでいくと分かるんですが、フリーターっていうのはリクルートが一九八七年に作った映画のタイトルだった。もちろんフリーアルバイターというのは、フリーが英語でアルバイターがドイツ語ですから実にいいかげんな言葉なんですけども、これはそのリクルートっていう会社が作ったっていうよりも、むしろ現実に働いてる人間が作り出したと言った方がいいんじゃないか。つまりカタカナ言葉の日本語化、定着化っていうのは大体四文字言葉に音便化されるプロセスなんですよね。例えばワードプロセッサーがワープロになる。パーソナルコンピューターがパソコンになるというようなもんですけれども。そういう、言語的変容の過程を経てフリーターつていう言葉ができたんだろうと思うんです。つまり頭だけじゃなくて、人間の体を一度通っている。それを掬い上げる形で映画を作る。だから一企業の枠を越えてドッと流通していく。それがたぶん一九九七年あたり、三年位前という事になりますね。要するにバブルがはじけて不景気になって就職も難しくなってくという状態の中で、フリーターが増えていった訳です。しかし単に波が引いたり満ちたりするような定期的な景気循環の中で、とりあえずアルバイトやってるっていうレベルじゃなくて、景気が多少良くなっても全く引かなくなった。むしろ増えていくという状態になる。たぶん去年あたりから幾何級数的にフリーター人口は多くなっていきます。これからもそういう傾向は強まっていくというふうに言えると思います。
 でこれはまた別のマンパワー開発産業から得た情報なんですけれども、都内の大学の卒業予定者の三分の一位の人が最初から企業への正規雇用を目指すような就職活動をしないという事態になってるらしいですね。さらに首都圏の高校の同じ年の実態調査では約半数の人が、やはり就職活動そのものに熱心では全くないという状態になっています。でこれに対して割合古いタイプの高校や大学では、いややっぱり人間一つの企業に一生懸命働いて全うしなきゃあいけないとか、技術を身につけて働かなくちゃいけないってな事を言って指導してる所もあるんですけれど、多くの大学や高校では既にそれ自体一つの生き方として認めざるを得ない。その中でどういうような生き方ができるかという事を指導するという方向に向かってるようです。そういう傾向が現れてくる上には日経連の一九九五年報告っていうのは非常に大きかったようです。
 さらに例えば私自身の経験を挙げると、東京の都心部、はっきり言うと麹町の近辺にある一部上場企業の編集関係の会社があるんですけれども、そこへ行くと百人位いる社員の内のたぶん正社員は二十人位しかいないんですね。で他の人達はどうかというと、正社員の下といいますか、正社員の脇に長期契約の派遣社員がいる。でさらに短期契約の派遣社員がいる。そして学生アルバイトみたいな人がいる訳です。でさらにフリーターがいるというような、まあフリーターと言いましてもこれは女性専門の派遭会社で一人ひとり来ている人間とアウトソーシングで、例えばコンピューターのオペレーターばかり専門に送り込んでる会社があって、そこと契約してその部門をまるごとアウトソーシングしているとかですね。そういういろんな形態があるし、雇用形態とか給与形態も相当違うと思いますけども、たぶん二割位しか正社員がいないという状態になっています。
 そのいわば一番下辺にフリーターといわれるような人がいるという事態ですね。さらに映画を観て頂いた後ですからその事は実感としてわかると思いますけども、寄せ場日雇い労働者達の環境に近いような雇われ方をしている人達が建設産業界だけじゃなくてビル清掃や水商売など都市の底辺に広がっている。さらにそこからもいろんな条件で働けなくなった人達がホームレスと呼ばれるような境遇になっている。そういう巨大企業の正社員から、ホームレスの人達に至るような大きな労働環境、雇用環境、雇用形態の変化の中でフリーターっていう言葉が焦点化されているというふうに言っていいんじやないかなと思います。そういうふうな大きな変動の見取図を描いておかないと、本当の変化、実際に動いていることが見えてこない。リクルートだけじゃなくて、他のシンクタンクとか企業の研究所みたいな連中が言うのは、なんか生き甲斐を見つけろとか、労働意欲を掻き立てる為になんらかの刺激を与えるべきだとかということです。まあここにも芝居とか音楽とかいろんな事やってる人達いると思いますけれども、そういうアート関係の人達はそれでいいし、安い賃金でがんばって下さいと。しかし一定数はなんとか企業の戦力になるように、もうちょっと専門の技術を付けて欲しいとかですね。いろんな言い方されていく訳ですね。一方でコンビニエンスストアなんかでは既にアジア系の人達が店長になっている。店長といいましてもあくまで雇われ店長に過ぎないので過酷なノルマを強いられて、汲汲として働くという状態だと思いますけれども、例えばインド系の人の店長がいるコンビニとか僕の家の近辺にはありますし、その下で日本人のフリーターが働いている。しかもそのフリーターと呼ばれている人達もけっして十代とか二十代の前半じゃなくて、もう四十代、五十代の人もいるという状態になってますね。そういうアジア的な広がりの中でフリーターっていう言葉があるんだけれども、フリーターだけ取り出すと癒しとか、自己実現とか、はっきり言っていかがわしい言葉によって心の病の問題に解消されてしまう。そういう方向に引き摺られていってしまうので、あえてそうした大きな労働環境の変化をフリーター階級の抬頭と呼びたい。階級っていう言葉は今やもう完全に死語、いわゆる左翼の運動家たちもほとんど使わなくなってますし、それから経済学の世界でも使われにくくなってます。非常に頑固なマルクス主義的な思想を持っていた政治党派の人達なんかも、もはや使わなくなってきつつあるという状態です。その言葉とフリーターという言葉を敢えてぶつけるような形で言っているのは、そういう広がりをみて、癒しとかいかがわしいイデオロギーの濁りを吹き払ってしまおうというような意図がある訳ですね。(続く 二〇〇〇年一二月一七日 於 plan B)

平井玄 フリーター階級をめぐって 2

そのうえポストモダン・プロレタリアというような、さらにもっといかがわしい言い方もしてるんですけども、このポストモダンっていうものの中には、まあ普通ポストモダンっていうと新し物好きのヨーロッパの最新の思想流行を取り込むというようなニュアンスありますけれども、モダンっていう言葉をいわば二十世紀の社会主義全体として、ポストモダンという意味を二十世紀社会主義の実験の失敗の後というふうに考えて、その後に現れてきた階級というニュアンスで捉えて頂ければ、と思います。
 それと、もう一つ強調しておいた方がいいと思うのは、朝日新聞の求人ネットの記事なんですけども、要するにインターネットを使った求人の形態を普及させようと明らかに政府や巨大企業は考えている訳ですね。これは寄せ場のインターネット化とすら言える。つまり携帯電話やインターネットの普及、今やiモードみたいなものが急激に普及している訳ですから、インターネットと携帯電話を分ける意味全くないですけれども、いわば携帯電話の普及とフリーターというような言葉が出現したのは全く同時代の事だったっていう事が、これからはっきりしてくるんじゃないかと思います。例えばレギュラシオン学派という労働の形態とか社会形態と技術の変化みたいなものを、密接に関係したものとして考えるという経済学、社会学の潮流がありますけれども、そういう発想を導入して考えると、携帯とフリーターっていうのは両方で引き合うようにして一挙に二十世紀終わりの社会に蔓延した現象として、しかも日本を出発点として蔓延した現象として記述される時が必ず来ると思うんです。この接術の変容といわゆる労働力のフレキシブル化は全く切り離せない。つまり携帯電話を一人ひとり持ってる訳ですから、一人ひとりの求人とコントロール、管理が可能な訳ですね。明日何時からここ行ってくれって事が、一人ひとりに連絡できると。しかも昨日の夜、あそこへ何時に行ってくれっていった事を今朝変更する事も可能です、どこにいても。もちろんそれは変更にあたっての求人される側の負う負担っていうのを考えないで、無視してっていう事なんですけども。そういうフレキシブルな変更が可能なメディアな訳ですね。
 それともう一つは、家庭の中で携帯電話を一人一台持ってるという状況が、到来していると思うんですけど、ますますそういう状態は加速度を増していくと思うんですよ。つまり家庭、いわゆる父親が外で働いて母親が家庭を切り盛りして、子供達が養われて家庭が成り立つというような家庭の在り方は全然普遍的でも超歴史的でも何でもない。例えば僕白身六〇年代、七〇年代の始めまで家族全員で夜中まで働くという就業形態をしていたものです。フォーディズム家族っていう言い方した方がいいと思いますけども。要するにフォードですね。アメリカの自動車会社のフォードがオートメーションの生産ラインを作って労働者を雇用する。しかもその男性労働者を雇用して女性は家庭で、家庭内の切り盛りをやるというような分業があって、そこでの性差が固定されて、つまりジェンダーですけれど、ジェンダーが固定されて子供達はその場で養われながら一定の労働力として必要な学力を注入されて、次にまた大きくなったら結婚してそういう家族を再生産する。そういう家族の再生産構造はせいぜい一九二〇年代、三〇年代にアメリカやヨーロッパでできて、それが例えば日本の場合、戦後になって爆発的に広まったにすぎない。農民はそういう家族の形態を取ってませんでしたし、都市の自営業者もそんな形を取ってなかったですね。むしろ人口的には、ヨーロッパやアメリカ以外ではそちらの方が多数派だった訳ですから、そういう家族形態、近代家族というよりもむしろ近代の中でもさらにもっと特化してケインズ主義以降の、フォーディズム家族って言った方がいいと思います。その形態が携帯電話の出現によってバラバラになる。もちろん携帯電話だけじゃない、もっと前から。家電に対して個電っていうような言い方をするような人達も出てきてました。それが徹底化されるのが携帯であり、極端に言うと一時間前と一時間後の労働の質が全然違う現場に行かせる事もできる。一人の労働者を多重な人格の中で使うという事も可能になってくる訳ですね。多様な労働力としてその潜在力を引き出すという事も可能になった。いわば多重人格化せざるを得ないというところもある訳です。そういう形でフォーディズム家族も解体し、それから一定の統一した人格を持って、生産–消費活動をして結婚して子供を産んで再生産する、そういう形での近代的な人間概念みたいなものも、テクノロジーを媒介にしてバラバラにされていく。これはもちろんマイナスの意味が非常に強いですよね。それだけ自由に管理できるという事になる訳ですから。当然そうなんですけど、逆に言うとじゃあそういう家族が理想だったのかっていう事は全く言えない訳ですから、別の可能性もある。いずれにせよフリーターと携帯の出現が全く同時代だったことのプラスとマイナスは、明らかになってくる時が近いうちに来ると思います。

平井玄 フリーター階級をめぐって 3

まあそういう「フリーター階級」的状況というのは、それをもちろん労働現場から見ればいいように使われて、いいように使い捨てられるという状態な訳ですから、旧来の労働運動的な在り方で批判していくという事は非常に重要なんですけど、それだけじやなくて逆にそこから別の可能性を作り出していくという事を考えようというのが、フリーター階級とかポストモダン・プロレタリアという言い方の中に込められた合意なんですね。少なくともそれは、企業奴隷的な生き方やエディプス的な家族からの自由でしょう。
 そうするとやっぱり階級って言葉が皆さんにとっては非常にわかりにくい、今どき何で階級なんだっていう、当然ながらそういう疑問がいっぱい出てくると思うんです。最近あちこちに書いてる人で金子勝さんっていう経済学者がいます。この人は東大時代は日本共産党にかなり近かった人ですけども、今どちらかっていうとヨーロッパの社会民主主義的な方向で日本の経済システムをもっと市民的な、民主的な社会の基礎になるような形に変革すべきだと主張している。それでそれなりの説得力と影響力を持ち始めている人です。彼が『市場』という本を去年書きまして、その中で階級否定論を非常に説得的に展開してるんですね。彼が言ってるのは、階級っていうのは単に所得が多い少ないとか、それから所有、つまり生産手段、企業を持ってたり機械を持ってたりして、自ら物を生産する手段を持ってる持ってないとか、そういう事だけでは階級としての意識っていうのは生まれない。実はむしろ宗教的なコミュニティーとか、それからエスニックな少数民族のコミュニティーとかそういうものを前提として初めて生まれるんだというわけです。つまり「労働者階級」というのは、宗教的、民族的なマイノリティの擬態だった。だから今やもう階級って言い方では、資本主義を越える主体はつくりだせないという事を、かなりはっきり書いてるんですよね。でそれはそれなりに説得力があると思います。確かに今日本では沖縄の人達とかアイヌ系の人達とか、あるいは在日朝鮮人の人達を除いては、その種のコミュニティーつていうのは徹底的に解体され尽くしてますから、労働者階級っていう集団性によって次の社会をつくりだす為の人間関係の母体とするというような発想は取りにくいと思います。しかし例えば在日朝鮮人の社会でも階級分化、金持ちとそうでない人との差は非常に大きくなってますし、アイヌ系の人達の中でも、あるいは沖縄の人達の中でも実際にそうなっています。それを考えると確かに金子さんが言うように、共同体的な階級形成っていうのは難しいかもしれませんけれども、逆に言うとバラバラにされた分刻みの個人と言いますかね、もう十九世紀以来の旧来の人間概念では捉えられないような、僕ら自身の生き方の中からもっと身軽で遊動的な、動きが早くて今までの家族とか企業とか学校とか、そういう単位にとらわれないような新しい運動の在り方とか、階級の形成のされ方が在り得るんじやないかと。まあそれをノマド的な階級形成というふうに僕は考えてるんですけれども、そういう事も可能なんじゃないかというふうに最近は思い始めています。いわばそういう合意を含めて、そういう希望的な意味を込めてフリーター階級っていうような事を、とりあえず今投げかけてるというところなんです。
 もう一点、今やグローパリゼーションっていう形でアメリカ的な資本主義の在り方が全世界を覆い尽くそうとしているんですが、例えば仕事で大学間係の出版物を作る仕事に多少関係しているんですけれども、それを読むととにかくIT革命、国際化、英語力、コンピュータの技術を覚えなきゃなんない、というような事ばっかりです。学生数が減り出してますし、あと数年経つと受験人口が百万人を割る。統廃合の嵐の中で大学が生き残っていく為には異常なまでにそういう方面の学部を新設・拡充して、大学に入ったらID番号を与えてブック型コンピュータを貸し出すという状態になってる訳です。大学は少数の大学院大学と一定の中間管理職大学、そして大多数のフリーター大学に三分される。もちろんまだ過半数は高卒なわけで、こういう分化しつつある場所で『ゴーマニズム宣言』は読まれている。そういう中で金子さんや日本でまだそういう資本主義でいいのかというような事を考えている人達は、ヨーロッパ的なゆるやかな形で、それ程の貧富の差も差別もない社会をつくりだそうというような考えを取るようになってるんですね。実際ヨーロッパの多くの国がいわゆる社会民主主義の政権になってます。ネオナチや自由主義史観派を抑止するためには、そういう方向しかないということで、日本でも今まで労働運動や左翼運動をやってた人達は大きくそういう方向になびいている訳ですけど、これは事態の始めにまで戻って考えてみなくてはならない。
 実は一九一八年にマックス・ウェーバーという人が、オーストリア軍の将校団を相
手にした演説をしているんです。これは一九一八年の六月にウェーバーが、職業軍人のエリート達を前にして、第一次大戦後ロシア革命が起こってドイツでも革命が起こるかもしれないというような、非常に逼迫した情勢の中で社会主義批判をやったもの。『社会主義』という演説はそういう内容なんです。彼は、社会主義者達の決定的な誤りは、資本主義であろうと社会主義であろうとサラリーマン層が増大していかざるをえないことが見えていないことだと言うわけです。これだけ複雑な技術と複雑な社会システムになれば、現場で物を作り出す労働者だけではなくて、むしろそれを管理していくサラリーマン層、ホワイトカラー層が拡大するだろうと。そういう人達と労働者の接点がだんだん曖昧になっていって、その社会の全体にいかにして生産を回復し支配と被支配の関係を緩やかにしていくか、その事の方がずっと問題なんだ。従って社会主義は失敗するし、その革命は阻止されなければならないっていう事をオーストリアの将校団を相手に話をするというような筋書きです。まあそこからマックス・ウェーバーは『支配の社会学』というその歴史的な形態を分析するという方向に向かうんですけれども、今ヨーロッパの社会民主主義運動がたどりついたところっていうのは、いわばウェーバーの位置に非常に近いんですね。ウェーバーはこういう時代を予言してたと思っているかもしれない。しかしウェーバーのおもしろさっていうのは、その中に一言限定を付してることなんですね。それはどういう言い方かというと、社会の管理・調整システムが大きくならざるを得ない、そういう人間集団は必要だ、その際、社会主義者達の理想の実現は「現代技術の性質上それは不可能な事である」という言い方をしているんですね。「現代技術の性質上」という留保の言葉を使っているんですね。
 一九一八年っていうのはもちろんコンピュータありませんし、パンチカード方式の会計計算機みたいなのが開発されてきた時代なんですね。つまりカフカみたいな小説家が訳のわからない官僚的な人間やシステムをああいう寓意的な小説に書いた項ですけれども。そういう時代、そういう技術をベースにした官僚システムが肥大してた時代なんですね。しかし二〇世紀の終わりに起こってる事はどういう事かっていうと、例えばドットコム企業とか、いろんな言い方をされてますけども、いわば現代の技術によってそういう中間的な管理システムがだんだん縮小されてきているような生産と労働の環境じゃないのか。つまり一握りの企業家、アントレプレナーみたいな、つまりマイクロソフトの社長みたいな奴ですね、そういう人間と、あとは膨大な数のオペレーターたち。ただひたすら眼精疲労ばかりが重なるようなオペレーター達と一握りのアントレプレナー、それが直結しているような、例えばアマゾン・ドットコムみたいな企業ありますけれど、そういう社会にだんだんなりつつありますね。アメリカナイズされたグローバリゼーションっていうのはまさにそういう世界を目指している訳で、そうなってくるとマックス・ウェーバーの予言は確かに当たったかもしれないけれど、現代技術の制約上っていうその現代技術が変容をしている。つまりウェーバーの予言は的中したが故に外れている。逆に言うとまさに新しいタイプのプロレタリア、新しいタイプの階級がそこに勃興してきて、彼らの技術と創意とですねぇ、自分自身の意思と活動によって物を作り出したり、新しい人間関係をつくりだす、言ってみれば社会の基盤を新しくつくり直すっていう事が可能になるような事がこれから先展望できるかもしれないという状態にあるんじゃないかなと思います。実際、僕らはコンピュータという生産手段・流通手段を持っている。ウェーバーはもちろんそんな事は全然意識して言ってる訳じやないですけれども、その限定を付したという二言にやっぱりウェーバーの非凡さがある。逆に読む事が可能な文章、講演を彼はしてるんですね。
 まあそういう意味を込めて、もちろんこういう事はなんら今現在の段階で運動になって出てきてる訳でも何でもないんですが、例えば去年の一二月、ちょうど一年位前にシアトルで、そういうグローバリゼーションを推し進めようとするような政府や企業の代表者達が集まる会議を、いろんな人達が集まって決議不能に陥れてしまうというような運動が一つあった訳ですね。もう一つ、それからもっと数年前にメキシコのサパティスタという先住民の人達を中心にした運動が生きるための闘いを起こしていく訳ですけれど。サパティスタの人達の運動も、以前の例えば先住民の権利回復運動、もっと昔の言い方だと第三世界的な民族解放運動というふうに捉えるよりも、むしろグローパリゼーション下で起こったポストモダン・プロレタリアの運動というふうに捉えた方がずっと見通しが良くて彼らがそう意識してそういう言葉を使ってるかどうかに関わらず、先が見えやすいような捉え方ができるんじやないかっていう気がしています。まあこういう例にはたぶん事欠かないと思うんですけども。そういうような希望的な観測と自分の生き方、その労働現場を見つめる中で出てきた予見って言いますかね、自分にとって今体を動かしていく大きなモチーフとしてフリーター階級とかポストモダン・プロレタリアートという言葉を語りたいという気持ちが非常に強いですね。
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人文書院 075-603-1344