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2008年8月のスケジュール

8/4【月】—8/24【日】plan-B  夏休み期間
この間の劇場公演は特別な主催公演以外はお休みとさせていただきます。

特に表記のない場合、お問い合わせ・ご予約はこちらまでお願い申し上げます。
電 話:090-5385-9631(担当:石原)
メール:space.plan.b(at)gmail.com
※「(at)」を「@」に変更して下さい。

8/22【金】ご利用者有り
8/23【土】ご利用者有り

8/25【月】20:00〜
小松亨 稽古開始 『仮病日記』公開稽古 vol.11 「くらくら」
料金:無料
小松亨
戸田象太郎
内野広美
国江徹
内野暁子
戸田久美
問い合わせ(小松亨)
coocoo1960(at)nifty.com
※「(at)」を「@」に変更して下さい。

8/26【火】20:00〜
[DEAD PAN SMILES]#49 ギターソロ演奏: 大上流一
Riuichi Daijo solo guitar playing
予約¥1000/当日¥1200
e-mail:post(at)milkman.jp
※「(at)」を「@」に変更して下さい。

8/27【水】19:30開場ー20:00開演 <paln-B主催>
The first. 大上流一(guitar)×スガダイロー(piano)
料金2000円
e-mail:post(at)milkman.jp
※「(at)」を「@」に変更して下さい。

スガダイロー(piano)
1974年3月19日神奈川県生まれ。幼少の頃よりクラシックピアノに親しむ。洗足学園ジャズ科一期生。その後、謎のアメリカ留学を3年間。2002年日本永久帰国後、活動再開。東京都内、横浜などでフリージャズを基本に演奏する。

大上流一(guitar)
1978年生。独学でギター演奏を始める。演奏は全て即興による。2004年から始まったソロシリーズ「Dead Pan Smiles」は現在でも毎月続けられており、演奏による作業性を継続している。また平行して多様なミュージシャンとの共演を試みている。

8/28【木】ご利用者有り

8/29【金】19:00(18:30開場) <paln-B主催>
8/30【土】19:00(18:30開場) <paln-B主催>
大谷蛮天門 「東京戦争戦後秘話」ー地獄三景・真夏の夢ー
木戸銭 2,000円

聖書は、神が今後、女は男に服従すべしと命じる以前、男と女が互いに自然と調和して生きていた庭のことを物語っている。古代ギリシャの詩人ヘシオドスは「より劣った種族」が彼らの戦いの神をもたらす以前「平和に屈託なく」土地を耕していた「黄金の種族」があったことろ記している。エジプトの石の板に刻まれた銘文には<女神>イシスが、メソポタミアでは<女神>ニンニルが人々に農耕を教えたと記されている。
そしてこれらは過去に存在した事実に由来していた。
リーアン・アイスラー「聖杯と剣」より

昨・演出・出演 大谷蛮天門
助太刀
蜂蜜劇場
助演    伊牟田耕児
助演    佐藤泰博
演奏    倭奴のやまちゃん(ウランアゲル)
現場監督  小林純子
事務    鴨澤みどり
共同演出  仲村虻八

協力
小見憲
極東演劇研究所
原田依幸
路上アート研究会

問い合わせ先
090-2933-0687(大谷)
http://homepage2.nifty.com/bohachi

2008年7月のスケジュール

7/6【日】18:00(開場17:30)
映画「山谷─やられたらやりかえせ」 <主催plan B>
監督 佐藤満夫・山岡強一 ドキュメンタリー/16mm/カラー/1時間50分
Documentary Film “Yama─Attack to Attack” Direction by Mitsuo Satoh, Kyoichi Yamaoka
上映後20時頃から<ミニトーク>
「フリーターって、誰?」講師:山口素明(フリーター全般労働組合)
料金:予約¥1000 当日¥1200
予約・問合せ:090-1836-3430(池内)
e-mail:komi-ko3(at)jc.ejnet.ne.jp(小見)
※「(at)」を「@」に変更して下さい。
http://homepage3.nifty.com/joeii/

7/17【木】19:30
相倉久人パフォーマンス・ジョッキー「重力の復権」<主催plan B>
Performance Jockey/ Hisato Aikura “Restoration of Gravity”
予約/当日¥800

7/18【金】開演20:00(開場19:30)
田中泯 独舞 「匂いの影から」<plan-B主催>
予約2,000円 当日2,500円

7/19【土】開演19:00(開場18:30)
田中泯 独舞 「匂いの影から」<plan-B主催>
予約2,000円 当日2,500円

7/20【日】 ご利用者有り
7/21【月】 ご利用者有り

7/22【火】〜7/27【日】
NEO邪道展 展示
<展示紹介>
東京芸術大学 美術学部 先端芸術表現科3年生の5名によるグループ展示です。私達「NEO邪道」は学部2年次のカリキュラムでのグループ制作にて結成されました。志向性、扱っているメディアなどそれぞれ異なる5人が集い、切磋琢磨して、1つの展示空間を作り上げます。NEO邪道による第一回目のグループ展示「NEO邪道展」。私達は作りたいものを作るのではなく、作らずにはいられないものを作る。

伊福紗代  1984年生まれ 福岡県筑豊地区出身
今回展示する作品形態:インスタレーション「ただ美しく正しく生きたい、と思っていたら、ここに立っていた。”痛みを伴う”ということを手がかりに、立体や平面を製作している。一枚づつ皮を脱ぐ。羽搏くための準備は調いつつある。わたしたちはいつでも、何度でも飛び立てる!」

高野久美子 1982年生まれ 島根県出身
今回展示する作品形態:立体 「私は心の揺らぎをテーマに作品をつくっています。人間は心を持っている。様々な気持ちの変化を伴って生きている。自身の心の動きを見つめながら外への広がりを探求しています。」

中村浩司  1984年生まれ 長野県出身
今回展示する作品形態:映像インスタレーション「映画が好きで、自身でも映画のようなものを作っているうちに、自分の関心がストーリーから映像の現象そのものへと移ってきました。;”映像体験の本源”を求めて、作品を制作しています。」

彩蓮 1982年生まれ 滋賀県出身
今回展示する作品形態:油絵 「日頃、身体を使った表現を行っており、身体を使うという意味では絵画を描く事もその一つである。表現したいものから素材への移行の回路を辿ると、身体表現や絵画に国境はないと考えます。表現したいものは、なによりも自分との対話である。内なる響きに耳を澄ませば自ずと世界と結びつけられるのではないか、と表現を深めている。」

松岡詩美 1987年生まれ アメリカ合衆国出身
今回展示する作品形態:映画「どんな状況においても、自らの未来(悲劇にしろ喜劇にしろ平凡にしろ)は、自身で決意を持って選び取るべきであり、その結果全てを受け止められればと思う。大変な世界に生きる子供たちへ嘘偽りの無い物語を伝えたい。」

7/28【月】20:00〜
[DEAD PAN SMILES]#48 ギターソロ演奏: 大上流一
Riuichi Daijo solo guitar playing
予約¥1000/当日¥1200
e-mail:post(at)milkman.jp
※「(at)」を「@」に変更して下さい。

7/29【火】20:00〜
小松亨 稽古開始 『仮病日記』公開稽古 vol.10 「くらくら」
料金:無料
小松亨
戸田象太郎
内野広美
国江徹
内野暁子
戸田久美
問い合わせ(小松亨)
coocoo1960(at)nifty.com
※「(at)」を「@」に変更して下さい。

2008年6月のスケジュール

6/3【火】20:00(開場19:30)
デュオ集 「つまりひとりからだから」 今井和雄×田中泯 <主催plan B>
料金:一般(予約2800 当日3000) 学生(予約2300 当日2500)
照明:田中あみ
音響:西原尚
「つまりひとりからだから」いつの間にかタイトルがついた。つまり、その道理ですね。ひとりから、ひとりでに沸き起こる衝動が、身体を動かし、手が上がり、物に触れ、振動が起こり、耳を震わせ、衝動を鎮める記憶を抑えながら、事前に考えることもなく、繰り返し、向きを変え、よろめいて、つまずいて、転がる。だから、何処に向かうか分からないままに、遠い国の街角を思い出すこともなく、ロックなどと呼ばれる形もなく、伝統などというものにも係わらず、鼓膜を震わすだけの聴くということもしないで、石のようにじっと震えているだけだ。と、思うことにした。つまり、一人からだから。(今井和雄)

6/4【水】20:00(開場19:30)
デュオ集 「つまりひとりからだから」 灰野敬二×田中泯 <主催plan B>
料金:一般(予約2800 当日3000) 学生(予約2300 当日2500)
照明:田中あみ
音響:西原尚

6/6【金】20:00(開場19:30)
櫻井郁也ダンス・ソロ『タブラ・ラサ』
Date/6th June 2008 Start/20:00
Sakurai Ikuya Dance solo ” TABULA RASA”
料金:前売2200円(郵便振替/申込〆切=5月末日) 予約2500円 当日2800円
※当日券は、残席分のみとなります。
※ご来場順に整理券配布、開演直前のご着席となります。(前売り、予約の方優先)

【チケット/ 問合せ】十字舎房
TEL/FAX:03-3996-1823
MOBAIL:090-6163-4762
E-MAIL:j-ss(at)rj8.so-net.ne.jp
※「(at)」を「@」に変更して下さい。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/juuji
※メールまたはFAXでお申込みの場合、「前売り」か「予約」か、枚数、お名前、ご連絡先(前売りの場合はチケット送付先住所)をご明記ください。

出演者
櫻井郁也(ダンス)
田ノ岡三郎(アコーディオン)
Dance /solo = Sakurai Ikuya
Accordion=Tanooka Saburo

スタッフ
構成・振付=櫻井郁也
作曲=田ノ岡三郎
美術・衣裳=櫻井恵美子
照明=佐藤啓
企画制作=十字舎房
Direction = Sakurai Ikuya
Original music=Tanooka Saburo
Lighting=Sato Satoshi
Visual design = Sakurai Emico
Produce =Jujisyabou

白紙還元・・・。分裂と拡散のダンスです。美術の静謐、アコーディオンの呼吸、柔らかな光。しかし、思いも考えも、ひたすら切り裂くようにカラダは変わり続けます。動きは動きを求め、ぶつかり、壊し、カタチも熱も消え去り続ける。狂おしいエネルギーの入れ換えに集中し、未知の方向へ散らばってしまいそうな「瞬間」をと思います。2006年ポルトガル招聘作品、改訂上演。
ホームページ http://www003.upp.so-net.ne.jp/juuji
ブログ http://blog.goo.ne.jp/cross-section/

6/7【土】18:00〜21:00
ラテンダンスの発表会 ガナドーラ
料金:前売り 3,500円 当日4,000円
食べ放題・飲み放題・ショー&レッスン付き
お問い合わせ先:ganadora_ai(at)yahoo.co.jp
※「(at)」を「@」に変更して下さい。
小野寺 愛 080-5188-0243
ブラジルサンバショーを中心に、サルサやメレンゲ、ランバダ、ガフィエラ等のラテン系ペアダンスショー。更にそれらのダンスや演奏を体験出来るコーナーも有ります。簡単なお食事やドリンクのサービスも予定。陽気で楽しいラテンの雰囲気に浸りながら、ラテンアメリカのダンスや音楽の文化に触れて頂けたらと思います。(ガナドーラ)

6/8【日】19:00(開場18:30)
デュオ集 「つまりひとりからだから」 高橋竹山×田中泯<主催plan B>
料金:一般(予約2800 当日3000) 学生(予約2300 当日2500)
照明:田中あみ
音響:西原尚
この度は呼んでいただき本当にありがとうございます。泯さんと初めてお会いした時、ふーっと泯さんに初代の面影が重なり、心地よい緊張感が私を包んでくれました。三味線を弾き唄うものの本来の姿が、泯さんの中にあると確信したのです。それからずっと、いずれは泯さんとご一緒したいという想いがありまし た。とにかく、うれしいです。(高橋竹山)

6/10【火】20:00(開場19:30)
デュオ集 「つまりひとりからだから」 大熊ワタル×田中泯<主催plan B>
料金:一般(予約2800 当日3000) 学生(予約2300 当日2500)
照明:田中あみ
音響:西原尚

※日時未定
デュオ集 「つまりひとりからだから」 大友良英×田中泯 <主催plan B>

6月中での日程は都合がつかず、今回は残念ながら見送りとなりました。
大友良英×田中泯公演は2008年の初秋あたりを予定調整しております。
決まり次第、ご連絡を差し上げます。ご期待頂ければ幸いです。

6/13【金】20:00(開場19:00)
6/14【土】19:30(開場19:00)
南洋神楽プロジェクト「薮の中」<主催plan B>
影絵+朗読+バリ仮面舞踊+音楽+劇
料金:前売り2500円 当日2800円

原作:芥川龍之介
脚本/演出:和田啓
影絵監督:小谷野哲郎
影絵デザイン:川村亘平

出演
井上倫宏(演劇集団円):朗読
小谷野哲郎:バリ仮面舞踊・影絵
山岸天平:バリ舞踊・影絵

音楽
和田啓:パーカッション
松本泰子:ヴォイス
川村亘平:パーカッション・ガムラン
濱元智行:ガムラン

「南洋神楽」という芸能
芸能と芸術の違いとは、いったいどこにあるのであろうか?
インドネシア・バリ島の芸能に長い間関わってきた者として、全くの私見ではあるが、芸能とは「降りて来る」ことを重視するもの、芸術とは「自ら創り出す」ことを主眼とするもの、という言い方はできないだろうかと考える。

バリの師匠に言われたことがある。
「踊りは、踊り手が踊ってはいけない。踊りが踊るのだ。」
この一言は修行中の身には衝撃的で、今なおこのことが本当に理解できる瞬間を待ち望んでいると言っても良い。
「個」が無くなり、個人の身体に「踊り」が降りてきて、舞う。
それは神と人との交感なのであろうか?バリの芸能は本来、寺院祭礼の場で行われるもの。バリの寺院祭礼は、神々と人々との交感の場としてあり、そこに芸能は欠かすことの出来ないものとして存在する。バリの芸能は、ある時ある所において、神と人とをつなぐための装置として機能するのだ。

自分達のパフォーマンスに「南洋神楽」という名前をつけたのは、ひとつには、このような芸能を現代社会という時間と場所の中で成立させたいという思いがあった。
人間が演じる舞台に宇宙を降ろす。
それが可能となった時、「南洋神楽」は日本の芸能のひとつのジャンルとなっているかもしれない。そんな日が来ることを望みつつ、「芸能」であることにこだわり続けてみたいと思う。

南洋神楽プロジェクト 小谷野哲郎

<新規追加!!>
6/15【日】19:00(開場18:30)
今井和雄トリオ<主催plan B>
料金:当日2500円 予約2300円
ジャズあるいはフリージャズをテーマに2005年7月、今井和雄(ギター)、鈴木學(ハンドメイド・エレクトロニクス)、伊東篤宏(オプトロン)の編成で結成。コントロール可能な楽器と正確にはコントロール不可能な電気音具を組み合わせることで生まれる、安定した姿には留まりにくい音楽の形。そこから、私にとって現在のジャズ(の様なもの)を探っていこうと考えている。(今井和雄)

今井和雄(いまいかずお)
ギター / エレクトロニクス奏者。高柳昌行、小杉武久に師事。70年代から即興を始め、91年自身のソロ・シリーズ「ソロワークス」を開始。 97年より集団即興の為のプロジェクト「マージナル・コンソート」を企画。
http://www.japanimprov.com/kimai/kimaij/

伊東篤宏(いとうあつひろ)
1965年生。98年頃から蛍光灯を使用した自作音具「オプトロン」によるライヴを展開する。そのパフォーマンスは現代美術側からの音のアプローチから始まって、近年はより音楽的な展開も見せている。数々の展覧会、ソロ・パフォーマンスの他、Optrum、今井和雄トリオ、OFFSEASONなどのユニットでも活動中。
http://www.japanimprov.com/aito/aitoj/

鈴木學(すずきまなぶ)
2000年よりエレクトロニクス技術を用いた自作楽器等の設計制作、それを使った即興演奏などの活動を開始。アナログ発振器、デジタル音源、マイコン、MIDI、無線機器を応用した作品を制作。音楽家からの受託制作もおこなう。 (鈴木學WE Project)
http://www.k2.dion.ne.jp/~we-pjt/

6/20【金】ご利用者有り

6/21【土】20:00〜
小松亨 稽古開始 『仮病日記』公開稽古 vol.9 「くらくら」
料金:無料
小松亨
戸田象太郎
内野広美
国江徹
内野暁子
戸田久美
問い合わせ(小松亨)
メール:coocoo1960(at)nifty.com
※「(at)」を「@」に変更して下さい。

6/22【日】18:00(開場17:30)
だいちとあきと
Daichi and Akito
チケット 前売り 2,500円
*チケット予約は6月1日開始
問合せ先 offceraficon
e-mail officeraficon(at)yahoo.co.jp
※「(at)」を「@」に変更して下さい。

<新規追加!!>
6/25【水】19:30(開場19:00)
相倉久人パフォーマンス・ジョッキー「重力の復権」<主催plan B>
Performance Jockey/ Hisato Aikura “Restoration of Gravity”
料金:予約/当日¥800
 相倉久人さんは、音楽を中心にさまざまなジャンルの批評をされている評論家である。
 PLAN−Bは、1982年に多くのアーティストのみならずアートやライブ表現に関心のある人が集まって設立したライブスペースだ。僕もその一員だった。PLAN−Bの設立には、踊り、音楽といった特定のジャンルのスペースではなく、ジャンルを横断しアートをより広い視野でとらえ直し、実践しようという目論見があった。そこで、さまざまなジャンルのアーティスト、批評家、学者の方々からも、アドバイザーとしてご意見を頂戴した。相倉久人さんもそのお一人である。 (省略)
 相倉さんは50年代からジャズを出発点に、演劇、映画、ロックの現場で活動し、思考してきた方なので運動感覚が強い。高みから批評するだけの評論家とはわけが違う。この、現場性と運動感覚に裏打ちされた視野の広さと思考の柔軟性は、『重力の復権』でも遺憾なく発揮されている。されているのだが、相倉さんの語り口があまりにもサラッとしているので、うっかりすると聞き流してしまいそうになる。ものすごく刺激的な話を、まるでどこそこのラーメンがうまかったという話のようにサラッとする。さらには、いろいろのジャンルの話題が縦横無尽に飛び交う。きのうも、アニメ、源氏物語、バレエ、翻訳の問題、ハムレット、デヴィッド・ボウイ、ピーター・パン、映像と音楽などなど、トークのフリー・インプロヴィゼーション。PLAN−Bが掲げたジャンルの横断性といったねらいを、まさに体現している。
(黒川芳朱ブログより抜粋 http://honnjituokasibanasi.seesaa.net/)

<急遽決定!!>
6/27【金】 19:30 (開場19:00)
『GOENDAMA』 撮影・監督 江口方康 ─東京試写会─<plan-B主催>
コンサート(主演エリック・マリアのチェロ)21:00〜
料金:無料
しかし、是非とも来日特別試写に付き、カンパをよろしくお願いいたします。(plna-B)

<あらずじ>
 パリ国立高等音楽院に主席で入学、数々の最高評価を受けて卒業。早くから世界各国の音楽に魅了され、独自の軌跡を辿ることを決意したチェリスト。エリック=マリア・クテュリエ(1972生)。クラシック・現代音楽の分野において、それぞれフランスを代表する数々のオーケストラのソリストとして著名指揮者たちとの出会いを重ねるかたわら、個人の音楽活動を意欲的に展開し、分野を限定せずに飽くことなく音楽の可能性を追究しているヨーロッパでも注目のアーティスト。そんな彼は、余命少ない闘病患者とパリで運命的な出会いをします。病気と向かい合い、命を語り続ける一人の日本人女性。山田泉さん(1959生)。
 エリック=マリアはチェロによる演奏を、がんと闘い続ける彼女に贈ることを約束します。日本での再会を誓い、パリで、山田泉さんの娘から、「また御縁がありますように」と願いを込めて渡された五円玉。この出会いがエリック=マリアを10000キロ離れた日本の旅へと駆り立てる事になります。
生後9ヶ月、ベトナム戦争の孤児としてフランス人夫婦のもとに引き取られたエリック=マリア。その育ての母を9年前乳癌で亡くしてしまった彼。母にしてあげれなかった、『チェロ演奏による療法』。チェロから溢れる響きを患者の肌にじかに伝えるこの方法で、山田泉さんが抱える腫瘍の痛みを少しでも和らげてあげたいと願うエリック=マリア。彼が目指す新たな音楽への可能性、そして、自分探しへの旅が始まる。山田泉さんとの一対一による『ミュージック・セラピー』をドキュメントしながら、エリック=マリアがどのような精神の彷徨を経て今回の日本行きを決意したのか、その「想いの旅路」をフィクションを織り交ぜながら、パリ、京都、大分を舞台に辿り、山田泉さんとエリックマリアの想いの原点が重なり合う「聖ヨセフ寮」での特別演奏に密着して、エリック=マリア、心想の原風景を描いてゆきます。

BIOGRAPHIE (Re´alisateur)
江口方康1964年生まれ佐賀出身
1987/東京にて自身の劇団旗挙げ。
1988/日本出国、東南アジア・オーストラリアなど、
     現地で働きながら将来作る映画のネタを探しに旅を続ける。
1989/イギリス入国後現地の映画学生たちと短編映画の製作に加わる。
1990/ロンドンからパリに旅行。ポンピドーセンター広場にてパフォーマンス決行。旅費を稼ぐ。
同年6月ロンドンからパリに移り住む。
現地の映像プロダクションにて日本のTVCFの制作として働く。
その後NHKのパリ支局でアシスタント業務。
助成金にて国立映画学校ルイ・ルミエールの短期映画監督養成コースを無事クリアー。
1996/フランスにて映像プロダクション、インターベイフィルムを設立。
  短編映画、ドキュメンタリー、TVCF、制作・コーディネート業務
2003/カンヌ映画祭で出会った三池崇史に感銘。5月から9月まで、
彼の助監督として「交渉人」「ゼブラーマン」に付く。

昨年10月に出会ったチェリスト、エリック-マリア・クチュリエとがん患者山田泉さんたちに出会い、今回のドキュメンタリー映画を制作することになる。配給会社もテレビ局もまだ付いていない状態で見切り発進。
「君は本当に人生ナメているよね」とか「何でお前がパリなんだよ」などと、みんなからの励ましの言葉を頂き無事に『GOENDAMA』も完成となりました。

6/28【土】20:00(開場19:30)
[DEAD PAN SMILES]#47 ギターソロ演奏:大上流一
Riuichi Daijo solo guitar playing
料金:予約¥1000/当日¥1200

2008年5月のスケジュール

5/1【木】ご利用者有り

5/2【金】19:00
5/3【土】14:00/19:00
5/4【日】14:00/19:00
5/5【月】14:00/19:00
5/6【火】14:00/19:00
シアター・ブロック公演 vol.28
タイトル:ファルス・FARCE・笑劇(ふぁるす)

<内容>
ジョルジュ・クウリトリィヌ原作『大変な心配』
ハンス・ザックス原作謝肉祭劇集より『ものが二つに見えた男』
飯沢匡作狂言『濯ぎ川』

料金:3,000円 要予約 全指定席
予約・お問い合わせ:シアター・ブロック(中村)
Tel/Fax:03-3328-2464
当日(PlanB):03-3384-2051
演出:新城 聡
照明:伊藤篤史
出演:大渕 浩、多田広輝、中村依子、椿 理沙、
塩谷直美・笹井千恵子、栗田 薫、蒲池由香、鳥海 公

今回はファルスの特集。フランス短編喜劇の才人ジョルジュ・クウリトリィヌの『大変な心配』。中世ドイツのマイスタージンガー、ハンス・ザックスの謝肉祭劇より『ものが二つに見えた男』。飯沢匡の新作狂言『濯ぎ川』。三本を、新城聡の脚色・演出で上演します。

5/10【土】19:30
玉井康成 独舞「ハレハレエンガチョ」 <主催plan B>
料金:予約¥1,500 当日¥1,800
予約・お問い合わせ
TEL0551-35-2465
E-mail:tamai(at)be.wakwak.com
※「(at)」を「@」に変更して下さい。

音:戸田象太朗
照明:田中あみ
装置:藤田龍平
ケ・ケガレ。昔の人が自然に対して抱いていた畏れ不安、共に尊んできたこと。
今の自分は?分かりたい、知りたい、ソノ感情の膨らみ、ケからハレへ。
ハレハレハラエ。想像力と共に突き抜けた日常を生きた人々。
今の自分は?墜ちるところまで落ち、開放、覚悟、勇気、あります?やりましょう。
エンガチョ、しめた、つけた。精一杯踊るつもりです。ぜひ、いらして下さい。

5/24【土】
小松亨20:00稽古開始 『仮病日記』公開稽古 vol.8「くらくら」
料金:無料
戸田象太郎 
内野広美
国江徹  
小松亨
内野暁子 
戸田久美 
問い合わせ(小松亨)
090-3522-3078
E-mail:coocoo1960(at)nifty.com
※「(at)」を「@」に変更して下さい。

5/25【日】20:00
[DEAD PAN SMILES]#46 ギターソロ演奏: 大上流一
Riuichi Daijo solo guitar playing
料金:予約¥1000/当日¥1200

5/29【木】ご利用者あり

5/30【金】19:30
相倉久人パフォーマンス・ジョッキー「重力の復権」<主催plan B>
Performance Jockey/ Hisato Aikura “Restoration of Gravity”
料金:予約/当日¥800

2008年4月のスケジュール

4/1【金】20:00
[DEAD PAN SMILES]#44 ギターソロ演奏: 大上流一
Riuichi Daijo solo guitar playing
予約¥1000/当日¥1200

4/5【土】ご利用者有り

4/6【日】14:00/18:00
きのこ牛乳 mini bottle公演「トーキョー・グミ」
作・演出 はるまきたわし
出演 千草・橋本良太・明利聖子
照明 無花果八宝菜
音響オペレート 高橋和久
チラシ作成 masaru
前売・当日 共に¥1000
問い合わせ「きのこ牛乳」
メール:nomu(at)kinoko-milke.net
※「(at)」を「@」に変更して下さい。
電 話:080-6757-2228
http://www.kinoko-milke.net/
*plan-Bでも受け付けております。

◆今回の『トーキョー・グミ』は、どうでもいい会話から生まれるどうにもならない感情。というのを主軸に置いています。
我々は何故に無駄話をするのか?そこには無駄話をしなければいけない理由・因果律が働いているのではないかと。無駄話の奥の奥に潜む潜在意識の働きなのか?無駄話の先には何があるのか?
その様なことを思い、書きました。きのこ牛乳としては実験的な作品だと思います。

◆きのこ牛乳について
きのこ牛乳について簡単に説明させて頂きます。2005年に作・演出のはるまきたわしを中心に旗揚げ。それから劇団員を募り、活動し始める。
これまでに三本の本公演と一本の外部公演をおこなう。きのこ牛乳の作品としては、『欲動・狂気・可笑しみ』を作品の軸に現実ではありえない現実を描いております
【きのこ牛乳】はるまき たわし

4/16【水】ご利用者有り
4/17【木】ご利用者有り

4/18【金】19:20
4/19【土】14:30/ライブ17:00/19:20
4/20【日】14:30/ライブ17:00/19:20
4/18日は月蝕歌劇団 芝居のみ
19日、20日は月蝕歌劇団 芝居2公演 ライブ1公演

詩劇ライブ「銀河の回転木馬」
構成・演出 高取英 音楽 J・A・シーザー
出演 オンディーヌ美帆 月蝕歌劇団

<芝居の料金>前売・予約3200円  当日3400円  エクリプスの会3100円
<ライブの料金>前売・予約3200円  当日3400円  エクリプスの会3100円
<芝居とライブのセット券>3900円(予約のみ)
問い合わせ・予約・前売:
03-6657-3889、070-5081-7223(月蝕歌劇団)
http://freett.com/gessyoku/
gessyoku1986(at)yahoo.co.jp
※「(at)」を「@」に変更して下さい。
*plan-Bでも受け付けております。

4/22【火】19:00
相倉久人パフォーマンス・ジョッキー「重力の復権」<主催plan B>
Performance Jockey/ Hisato Aikura “Restoration of Gravity”
予約/当日¥800

4/25【金】20:00
[DEAD PAN SMILES]#45 ギターソロ演奏: 大上流一
Riuichi Daijo solo guitar playing
予約¥1000/当日¥1200

4/26【土】
小松亨20:00稽古開始 『仮病日記』公開稽古 vol.7「くらくら」
料金:無料
音/戸田象太郎
演奏/内野広美
照明/国江徹
衣裳/内野暁子
舞踏/小松亨
協力/戸田久美
問い合わせ(小松亨)
090-3522-3078
Email:coocoo1960(at)nifty.com
※※「(at)」を「@」に変更して下さい。

4/30【水】ご利用者有り

2008年 plan-B 特別展覧会のご案内

剣持和夫 ドローイング展
期間:2008年12月26日〜2009年1月21日

<ご注意>
以下のplan-B主催企画続行中に剣持和夫「ドローイング」展も
オープンとさせていただきます。どうしてもご覧に成りたい方は、
お電話にてお問い合わせください。03-3384-2051(plan-Bスタッフ)

●12/26【金】〜12/28【日】
 田中泯 独舞 「石がころんだ」
●1/6【火】 19:00(開場18:30)
 デュオ集「つまりひとりからだから」 大友良英×田中泯 
●1/21【水】19:30
 相倉久人パフォーマンス・ジョッキー「重力の復権」

ダンス白州2008にて展示を行った剣持氏の作品のうち、87点をplan-Bにて展示いたします。是非ともご来場をお待ちしております。

剣持和夫(けんもちかずお)
1951年 神奈川県小田原市生まれ
1974年 日本大学芸術学部美術学科卒業

<主な個展>
1973,74 サトウ画廊/東京
1973,74,77 田村画廊/東京
1974,76,77,83 ときわ画廊/東京
1975,76 真木画廊/東京
1976 ギャラリーU/名古屋
1980 ギャラリー マイヤー ハーン/デッセルドルフ、西ドイツ 
    ギャラリーDioptre/ジュネーブ、スイス
1981,82,83,84 インディペンデント・ギャラリー/東京
1984 駒井画廊/東京
1985 コンセプトスペース/渋川、東京
1985,89 佐賀町エキジビットスペース/東京
1993「第5回 朝倉文夫賞 剣持和夫展」
   (台東区旧下谷小学校講堂/東京)
1995「剣持和夫展」(徳島県立近代美術館/徳島)
1999 真木・田村画廊/東京

<主なグループ展>
1984「環境と彫刻/びわこ現代彫刻展」(守山市第2なぎさ公園/滋賀)
1987「アートドキュメントユ87」(栃木県立美術館/栃木)
1988,89「白州・夏・フェスティバルユ88 ユ89-風の又三郎」(白州町/山梨)
1989,93,95「第13回現代日本彫刻展」(宇部市野外彫刻美術館/山口)
1989「鉄の彫刻展 千葉ユ89-都市と人間鉄との対話」(千葉)
「第6回牛窓国際芸術祭」(牛窓町/岡山)
1990「観念の刻印 1990日本の版画・写真・立体」(栃木県立美術館/栃木)
1991「メトロポリス」(マーチン・グロピウス・バウ / ベルリン)
  「構造と記憶/戸谷成雄・遠藤利克・剣持和夫」展(東京都美術館/東京)
1993「第5回富山国際現代美術展」(富山県立近代美術館/富山)
1997「時間/視線/記憶90年代美術にみる写真表現」(東京都現代美術館/東京)
1999「熱海ビエンナーレ」(静岡)
2000「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000」(新潟)
2002「大分現代美術展2002 アート循環系サイト」(大分市美術館/大分)
2006「あしがら里山アート展」(中井町/神奈川)

灰野敬二 トーク・エッセー 1


 実際批判になっちゃうんだよね。批判でも、いい批判家、批評家っていうのは自分がやってると思う。批判して批評だけならば、19世紀最後までやってたいわゆる「評論家」がまだ良かったと思う。いま物書く人って、何もしないからかなりひどくなってる。それよりも、批判しつつやってるならさ、自分が、いい時も悪い時も状態はあるけどさ、自分が何かを見せたい、聞かせたいってことは、「俺が」っていうのがある訳でしょ。それが「俺も」になっちゃぁ、やるテンションが落ちちゃうと思うし、ただ「俺が」「俺は」って言った時、やなヴァイブレーションを与えないようにいかにできるかだと思うから表現者っていうのは。それが「俺がー」ってやった時に、何もかもがイヤーな空気になってしまって、みんな知らないうちに、いい悪い以前に、悪い意味での魔術にかけてしまうっていうのはやりたくないと思う。けど、時によって誤解をされるっていうことはそういうことでしょ。ある人にとってはいいヴァイブレーションを感じられなければ、それは押さえ込んでるような‥‥。
 俺は今まで色んなこと言って、結局来た雑誌社そのものを解体するようなことを言う訳だから──、もう露骨にいえば「資本主義だね」。もちろん反対側がいいとは言わないよ。さらに音楽の雑誌はどこも出してくれないけど、俺以外に「誰が安保反対の音楽をやってんだ」って言い切ってる訳。ジョークとして載せることは今後もあるかもしれないけど、本気でそれを言ったならば、ひょっとしたら雑誌が出せなくなるかもしれないからね、表現の自由って言いながら‥‥。
 その一人だけじゃないでしょう。結局、きっかけで亀裂ができりゃあ、初め亀裂が大きくならないことはできるけど、開いた亀裂は絶対に防ぐことはできないよね。無理矢理とんでもない力で亀裂を防ぐとしたら、漫画と同じでダムなんかの場合は他の所から出てきてしまう訳で、絶対にその恐さは、30年色んなところ喋り続けて、何にも出さないな。好意的ではある。評論家もある意味では敵にしたくないっていうのがあるんだろうけど。
 多分こいつにはわからないだろうと言って、何回も何回も言ってダメだとと思って、それで切ったらば状況は何か変わる?何ていうのは大それたことだけど、微かに揺らせるぐらいの、たった一行にでも引っかかればいいじゃない。言い切るけど、現状をいいって思ってる奴なんかいないから。いいものを売ろうともうしてないも。売れるものがいい。僕の幻想かもしれないけど、60年代の後半というのは磁場が違うことは明らかだけど、でもやる側は何かの部分では信じたものをやっていたと思う。どう考えたって、ジミヘンとジム・モリソンと個人的だけどシド・バレットって、やっぱり凄いも。今の次元から見ても、そのロックのサイドから見て、悪いけど僕はその世代は認めるからね。
 御存知のように俺はすごいレコード・マニアな訳で、とりあえずロックの世界だけ言うと、あれぐらいのオリジナリティーのある奴がいわゆる無名の中にいないのよ。これがねぇ、時代のせいにしたくないということなの。ジム・モリソンくらいってあえて言うけど、存在感がある奴は僕が探した限りではいない。レコードにならなかったのかもしれない。これだけ再発されていて、たったシングル1枚でも再発されてる訳じゃない。いわゆるその時代だってありさえすれば、幻のバンドとしてシングル1枚くらいは出したと思う。これだけ発掘されて出てこないロックの世界で、それでも出てこないっていうのは、やっぱり彼らはほんとにアヴァンギャルドであり、正道であり、表現者であり、音楽の部分で、何かの力を持ち得た人たちだったと思うのね。それを、時代がピッタリ合ったという言い方をしたくないけど、プロデューサーがこれはいいと思った音楽に対してのメッセージじゃなくて、メッセージは嘘に近づくから、何かのアプローチを持っていたと思う。ところが今やっている人間は、育てようという気が、自分たちの表現が何だって押さえて、捉えてそういうことをしようする人種がいない。

灰野敬二 トーク・エッセー 2

いないっていうのは、やりたいんだけど、売るっていうことが頭にあるから。イイものを売る以前に、まず売らなきゃいけないという至上命令があるから。
 それは全部含まれていて、ライブハウスのノルマ制も全部そこなんだ。
 もうねぇ、ある友達はすべて三流の時代だと。死語みたいな言葉だけどね。だからその前の表現を生み出す時代なんてもうないって。ロックはあれでいいの。それ以上になる必要がない訳。サイケデリックでも何でも、ある時に終わって、終わったということはそれ以上になれない訳でしょ、留まってしまったということは。それ以上か、そうじゃないことをやろうとすることは現在生きている人間のある意味では使命にちかい訳じゃない。プロっていう意識は、人を呼んで産業にするプロ意識じゃない。作る、違うものを作ってというか、本物だよね。本物をやろうという時にその意識を芽生えさせない。
 17歳の高校生が、ライブハウスを「ああ、そこに100人入れたらライブできるんだ」って思って、2クラス集めればいい訳じゃない。そうするとノルマは払わなくてもいいし、バンド2つくらいあると150人集まっちゃう訳よ。そうすると多少のギャラもらえる訳よね。音楽ってこういうことなのかって入っていけば、当然レコード会社入って、1万枚売らなきゃギャラもらえないよなって言ったら、1万枚売るために計算をしだす訳。初めからそういうものと捉えて考えていれば、サウンドもここでツ、ツ、ツ、タよりもツツツタッの方がいっぱい売れると、曲も作り出す訳よ。時代のニーズを本人が考える、という以前に考えられちゃう。頭の中でそういうシステムがそう回路されてるんだもん。
 昔は、アンダーグラウンドは、日本にサイケデリックっていう時代の産物なんて、「サイケ」って言葉しかなかったんだ。あんまり乱暴に言いたくないけど、グループサウンズで問題意識がちょっとあったような奴等は、それをちょっとやっただけで、今からは、本当のサイケデリックからは考えられないけどちょっとカラフルな服を着ていただけで……。
だからね、僕なんかに言わせればここがまた罠なんだけど、今ひょっとすると、僕は真面目に考えてるけどアメリカで起きた60年代最後から70年代の問題意識としては、根底のない問題意識としては日本人に切実な問題としてある。これは僕がよくいう例えで、30年前のアメリカの映画を見てごらん。そしてキッチンを見てごらん。キッチンがレンジとかオーブンとか(日本では)ようやく5年ぐらい前からあるの。エンゲル係数じゃないけど、人間の生活水準を測るのはじつはそこで、人間が何を食べてるか、どういう余裕を持っているかということ。冷蔵庫があるかっていうのは20年前までで、レンジとかオーブンていうのは5年前にやっと日本人の生活の中に、アパート暮らしの一人住まいじゃない普通の4人家族の家庭の中で起きている状況っていうのは、ホントに30年前のアメリカだからね。罠っていうのはね、ほんとに張り巡らされててほとんど気付かないし、それは個人が作るものじゃなくて、暗黙の了解に、知らないうちに結託されてしまうもので……資本主義ってそんなことだから。誰かが資本主義を追い出そうなんて今言い切らなくてもいきなりぶっ潰されて終わる訳だから。
(レコード会社に買われる)そのことは我々の時代にはもう下世話なことだったのね。僕がいまだ信じてるロックからするとね、冗談じゃないと。とりあえず俺たちは何のために始めたんだと、ドロップアウトしてね。もう全てに対して「NON!」と言ってた訳だから一回は。そこから始まっていたはずなんだ。それはもう僕が勝手に信じている部分ではあるけど、だって彼らはそのことに気付きようがないんだもん。できちゃうし、そのことで、いちばん企みとか罠があるのが歌詞だよ歌詞っ!
 「私は私らしく」って言ってるその言葉自体は凄いんだよ、実は。アルトーに匹敵するのよ「私は私らしく」っていうことは。ところがそれが言葉じゃなくって、どこがやってるかって言ったら100分の1%もない。ところが本人達はそう思い込んでるし、思い込まされてるスゴさ。異端児がいたって本人が気付かないところで含まれてしまう訳。「私は私」って言うね、僕に言わせたらたった一言しかなくて「私も」なのよ。この一言で全ては終わるはずなのに、「私は」って平気で言えちゃう訳。「私は」と「私も」の違いに気付いてない。今、あなたは個性がないですねって言われたら、ミュージシャンやれないよ。本人たちは「個性」があると思い込んでるし、個性があるって思い込まされてるんだから、それをホントに全て崩すような理論、理論体系をもって発表できる場所があれば誰にでも話したい、俺ホントに崩せる自信があるも。
 例えばかつて、はっぴいえんどっていうバンドがあって日本のロックと言い放った訳よ。ところがそこにおいてビート感とか日本語の発音の仕方っていうのは、どっこにも「日本」なんてない訳。でも彼らは、日本のロックとして明らかにいま神格化されている訳じゃない。俺はあれを崩す自信じゃなくって誠意がある、崩す誠意が──。

灰野敬二 トーク・エッセー 3

いま主流といわれるバンドは丸コピーしていて恥ずかしさはないんだろうか?だから今回の『哀秘謡』のオビには露骨に書いてある、挑戦状として。「日本において、ロックとはこのようにして始まるべきだった」。ま、本人たちがロックというものをどう捉えるかっていうことはもちろんあるけど、ただ彼らが気付いているいないに限らず、あの歌詞っていうのは僕からみてロックだから。
 ラブソングであろうと、やはり巧妙に言葉だけをうまく作ってきてるのよ。松本隆のあの歌詞はすごいも。歌謡曲の中に彼の歌詞が入ったことによって、歌詞があきらかに変わったの。例えばよ、すごく何でもなく、私はジュースを飲みましたが、私はキラキラ輝くからだの中に内出する液体を飲んだという言葉まではした訳よ、ただのオレンジジュースを(笑)。すごくどうでもいいようなことだけど、シュールなところまでは行った訳よ。そういう意味では言葉としての表現をしたかもしれない。言葉だけの部分であって、「私が私になる」のはある覚悟とリスクをしょう訳よ。リスクをしょわない部分でのことやった奴は全てインテリになるの。インテリってそういうことでしょ。リスクをしょわないで表現する奴はみなインテリで終わるの。
 だから、これも僕の中で言い放ってしまうことだけど、ビートルズまではインテリなの。彼らはロックと言ってるけど、僕にとっては作曲家だから。ひょっとしたら20世紀最大の作曲家かもしれない。バッハになりうるかもしれない。あの時代、あらゆるものを60年代に、ある意味で60年代は世紀末までは至らないけど、20世紀っていう十世紀単位でみた時にはもう彼らは世紀末な訳。そういう意味で彼らは勉強はしていたからあらゆる時代の音楽を総括して作曲をしたんだ。ビートルズのレコードって10枚くらいは、ほんとに聞いてもみんな違う曲なの。他のバンドってのは、いっくらあがいたってLP1枚の中に似た曲がいっぱいある訳。それはパンクにいたっては皆無だからね。本人たちが俺達は音楽の才能がないって言う、あれはもう自己弁護以外の何物でもなくて、どんどん音楽が狭まっていくのよ。アヴァンギャルドなんて言葉が出てきたことはもうとんでもないことで──。どんどんどんどんみんなズレていった訳、言葉遣いとか。
 まさに挑戦がなくなったし、それ以前に音楽が好きでないんだも。絵好きな人でなければいい絵描けないでしょう。踊り好きな人は踊りが好きじゃなきゃ踊れないはずだし、それは音楽にとっても全くそうだから─、好きじゃないんだも。それで何かをやるには総合的でなきゃいけないっていうあざとい単語を見つけて、また自分達がやれない弁護をしだす訳でしょう。音楽をやるためには美術も学ばなきゃいけないし、もちろん文学も知らなきゃいけないとか、そんなのはねぇ、やってればみんな分かることで、言葉にした瞬間に全てはそこで消えてしまうんだから……。
 ビートルズは僕にとってロックでないの。ロックは、十字架であり、やっぱりリスクだよ。というのはね、ロックが好きなあの世代というのは、みんなブルースが好きなのよ。ブルースを両親として、生みの苦しみの中からロックが生み落とされたの。それはブルースにしてみれば、また違うね、僕たちがまだ知らされてないアフリカの歴史とかにいくのかもしれない。少なくとも僕があえてロックから感知できるのはブルースまでだから。ブルースってのはタメがどうとかね、使う音がどうのこうの以前に、よく勘違いされるのは、表現法とスピリチュアルという部分ね。その部分でのブルースを感じた人間ていうのはどうしてもやっぱりロックを生み落としたのね。
 僕はあえていつも言ってるけどね、僕のパーカッションっていうのはロックから生み落とされたものだと思ってるから、そういうものってどんどんどんどん元に近づくんだと思う。その元っていうのはスピリチュアルっていう言葉になっていくかもしれないし、ある意味では音の塊ね。いつも僕は言い切っているけど、音楽なんて今ほんとに一部分しかないから、それを狡い奴らは何とか他のもので補おうとして、トータルとかね、インターメディアとか、全部を通して一つで音楽はこの部分ていう勘違いのやり方ね。そうじゃなくて音楽っていう塊を作り得るとしたならば、そうやった時に文学であり、彫刻であり、踊りであり、そういうものだと思うから、その塊を違う方からアプローチするのがダンサーだと思うし、そのことを考えながらものを書くのが作家だと思うのね。そこで自分に足りないものを見た時に、ほんとの意味で共同作業が始まるんだと思う。

灰野敬二 トーク・エッセー 4

今ミュージカルなんていうのは利害関係で結びついて、お互いにないものをお互いに傷の舐め合いとしてもうテンションを上げるんじゃなくて、100%のうち60%でも70%でも接点があればいいと思うよ、そんなんじゃないも。このへんの20%のところで何とかこう癒着しているようなことと全く同じだからね。だからミュージカルとか本気でやるならば、お互いが自分のやってる表現に対して至上主義にならざるを得ない。でもぉ、なんか知らないけど邪魔だけど踊ってる奴がいるとか、詩書いている奴がいるとか、じゃー何なんだよオメエよって言った時に、お互いが言って全然やってることは違うんだけど何か接点があるじゃない。
 やっぱ接点っていうのは、僕はリスクだと思うのね。リスクであり、微かでもいいから、陳腐な言い方だけど、ほんのちょっとでも世の中を少しでも良くしたいっていうね、とりあえず悪くしたくないと。それこそ傷ができているのはもう事実な訳だから、それをもうどうせなら全部拡げちゃえと、傷拡げてしまえば宇宙になれるじゃないかと。ある同志がいないと言葉で戦えなくなっちゃうし、一人じゃできないよ。一人でやるっべきなんだけど、一人じゃできない。だからこそ仲間が欲しい訳だから。
 ここなんだよ問題は。あのね、やっぱりわかってんだよ(音楽評論家は)。わかってんのと、人間の本当に哀しいサガで、自分の生活ね。でも何でもそうだけど、みんながそうだって言えばいいんだよね、よくないって。だって今のJ-POPをいいって言う奴はひっとりもいないよ。聞かされてる子たちは別ね。彼らはいい悪いじゃなくて、子守歌としてかけられてる訳だからドンドン育ってくる訳よ。
 評論家っていうか、言い切れないけど、いまだに日本の場合は30才でいまだに音楽を聞いてる人だからね。この違いだよね。イヤな言い方だけど、日本じゃないところではやっぱロックやるのよ。なんで僕が日本にロックないとか、作らなきゃいけないっていうのは、1年に1回でも2回でも(欧米に)行くと、去年来た‥‥こういう言い方をしよう。10年前行った時に、髪の毛が既に白っぽかった人がいる。10年たってその人が禿げてんのよ。どう考えたって同じ人で、あの時白髪だから少なくても30、10年たって40だよね。40の奴が来てウワァーってやんだよ。頭トンガってんのが来てウオォーってやんのと違うんだよ。要はここが面白いんだけど、ウオォーは同じなの。日本の場合とは質が違うウオォーで、質の違う客なんだ。だからロックがあんのよ。昔ジミヘンを見てるなら42、3歳はいってると思う。そういう人間が、やっぱり10年たっても1年に1回かもしれないけどほんとにライブハウスに来るのよ、ロックを聞きたくって。これは日本にないもほとんど。言わせてもらえば、僕のお客さんがかすかではあるけど何人かはいるけどね。やっぱり悔しいと思うし、なんで日本にロックないんだってね。
 ある時に不失者のことはああ皆わからないって、僕の中でもうしょうがないと。不失者を聞かせる前に、もし不失者がロックから生み落とされたものだとすれば、とりあえず不失者を生み落としたものを一度は見せなきゃいけないっていうので哀秘謡を始めてるから。ほら、例えば既にある曲をその通りやるのはこれはもう絶対ロックなんかじゃないから。ジミヘンにしたって、ドアーズにしたって、自分たちのサウンドにした訳だからねブルースを。とりあえず、僕の信じているギリギリのロックを見せて、そこで反応が起きなかったら、またやり方を考えなきゃなって。
 何でそこまで俺がやらなければならないんだっていうのはあるけど、やっぱりロックが好きでロックにこだわっていたいっていうのがあるんだもぉ。ジャズなんてどうでもいい。フリージャズが消えようと、モダンジャズが腹減ろうと俺は構わない。俺はお世話になってないから。俺の中に知識として、それこそリズムの取り方とか、裏の間の取り方とかね、確かにモンクを聞いて勉強してその方向に向かっていったのは明らかだけどね、俺のなかでは先生ではあるけど、仲間ではないんだよ。
 いいロックっていうのはそれこそジミヘンとか数は少ないけど、でも彼らだって先生の教えを受けてるし、やはり時代っていうのはどうにもなんなくって、やっぱり昔のものの遺産の上にいるのよ。時代としてじゃなくて、モンクを聞いた人間がモンク以上とは言わないよ、モンクのあのオリジナリティーに匹敵する奴なんていない。それを盗み、勉強しつつ、本人たちがどういうパーセンテージの消化を定義するのかわからないけど、モンクに対してね。でもみんな勉強してる。あいつら評論家と一緒なんだよ。でもやっぱり、すごいと言わないんのよ初めは。ところがある時期にすごいと言うのよ。なぜかと言ったら、すごいと言ってしまえば、自分がすごくなってすむから。これが罠なんだよ。